まいにち、やさしさと。

アラフォー女性の雑記。妊活や音楽のことなど。

吹奏楽で思い出した、自己肯定感がなかった頃のお話。

昨日、ふらりと万博公園に立ち寄ったところ、「ブラスエキスポ」という大きな吹奏楽のイベントが開催されていました。

今でこそ、すっかり離れてしまっていますが、わたしは大学の4年間をほぼ吹奏楽サークルに費やしていたんです(ちなみにパーカッション)。

懐かしい曲が聴こえてくるや、当時のいろんな情景や心情がよみがえってきて…つい立ち止まり、思い出にひたってしまいました。屋外だったから、演者の子たちは大変だったと思うけど、おかげでいい時間を過ごせました。

その帰り道、そういえば、と思い出したことがあります。自分が子どもの頃の「自己肯定感のなさ」にまつわるエピソードです。

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上で、大学のとき、と書きましたが、実は小学校の中~高学年のときも、学校のブラスバンドでトランペットを吹いていました。とても楽しかったし、もちろん中学に入っても続けるつもりでした。

けれど、中学校の吹奏楽部はきびしく、毎日の練習前には1キロのランニングと筋トレが課されていました。当時は根っからの運動嫌いだったわたしは、部に入りたい気持ちと、運動についていけない不安とで、迷いに迷いました。

でもなんとか、がんばってみようかな…と思いはじめたタイミングで、母に強くこういわれました。

「高校は進学校に行ってほしい。今の時代、そこそこの大学に行けなかったら好きな仕事もできないよ。そんな大変な部活に入ったら、勉強できなくなるんじゃないの?やめときなさいよ」

この一言で、吹奏楽部に入るのはやめてしまいました。ついていけるかの不安以上に、「母の言うことが絶対」となぜか信じていた当時のわたしは、母の言うことが正しい、やめといたほうがいい、と思ってしまったのです。

吹奏楽部には入らなかったけど、音楽への未練は中学のあいだくすぶっていて、中2のときに「音楽科のある高校に進学したい!」と思ったこともありました。でも、同じ理由であきらめ、進学校へ進みました。

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その後、大人になって、このときのことを思い出すたびに、ちょっとしたモヤモヤが沸いてきました。そのモヤモヤの正体が何か、ずっと分からなかったのですが、数年前になってやっと理解しました。

わたしはあの頃、わたし自身のことを、まったく信じてあげられてなかった。

どういうきっかけでかは分からないけど、わたしは幼いときから、いわゆる「自己肯定感」というものに欠けていた気がします。

何かの判断をせまられるたび、自分の選択に自信がなかったのです。それで、親に相談したり、その道の権威とよばれる人の意見を聞いて、ただそれに従うようなことを、人生の要所要所でやってきました。

そしてある時点までは、「ホントは音楽科のある学校行きたかったのに、親に反対されたから、親のせいで行けなかった」と思っていたし、人にもそう話していました。

 

でも、やりたいのなら、親や他人に何を言われても、やればよかったんです。吹奏楽部に入ればよかったし、音楽科のある高校に行けば、それでよかった。

部活に入らないことを、行きたい高校に進まないことを選択したのは、自分を信じられず、親に嫌われたくなかった、自分自身。

誰も自分の人生を代わりに生きてはくれないし、他人は、たとえ親だって、わたしの人生に口は出しても、責任はとれない。

そのことをちゃんと理解しないかぎり、そうやって他人のせいにして自分の人生に後悔や不満を残すことは、生きているあいだずっと続くはずです。

アラフォーになり、年を重ねるほどに、選ぶべきこと、決めるべきことが増えつつあります。その時々で、自分の心とよく向き合い「わたしが本当に選びたいことは何なのか?」を見つめよう。納得して人生を送るために。

昨日の帰り道、吹奏楽の余韻の中、そんなことを思っていました。